シンガポール生活も一年が経ち、おかげさまで不自由のない生活を送れています。日本人だからといってシンガポールで不当に扱われたりしないし、むしろ日本語で「こんにちは〜」と笑顔で声をかけてくるシンガポール人がいるほどです。
ただ、シンガポールに住む限りは日本とシンガポールの戦時中の関係について学ぶことが大事だと思っています。
親日なシンガポール人に甘えるのではなく、過去に我々の先祖の間になにがあったのかを学ぶべき。そこで、第二次世界大戦中に日本がシンガポールを統治していた時のことが学べる施設があるとのことで早速訪れてみました。
まずは日本とシンガポールの歴史について簡単におさらいしましょう!
日本とシンガポールの歴史
第二次世界大戦中、日本は東南アジアの資源を求めて南下。マレー半島に目をつけます。そして1941年アメリカへの真珠湾攻撃と同日にマレー半島のパタニとイギリス領のコタバルに上陸する、いわゆる”マレー作戦”が決行されます。
当時シンガポールはイギリスの植民地でした
なぜ海から攻撃ではなくて、陸路からマレー半島を縦断したかというと、特にシンガポール側の海はイギリスの守りが堅かったからです。そのためイギリス領のコタバルから上陸して、陸路でシンガポールまで攻略する作戦がとられました。
マレー半島はジャングルだったので戦車などで陸路から縦断するのは無謀だと考えられていましたが、マレー作戦の指揮をとった山下中将は「ママチャリ」を使う案を出します。
当時日本のママチャリは東南アジアですでに人気で、手に入りやすいのと、ゴムの木が豊富なマレー半島において万が一タイヤなどがパンクしても簡単にタイヤが手に入ると考えたからこその作戦です。
ジャングルは道も悪いからママチャリがむしろ便利!
この作戦が大当たりし、ママチャリに乗って日本軍は猛スピードでクアラルンプール、ジョホールバルを制圧し、ついにはシンガポールまでやってきます。この凄まじいスピードに”東洋の電撃戦”と呼ばれたほどです。
そして最後はシンガポールに到達。日本軍のあまりの速さにイギリス軍もびっくり!2倍以上の兵力差があったものの、日本軍はなんとシンガポール(イギリス領)の要塞をわずか10日で陥落させます。
今回訪れたのがその当時のイギリスの要塞です
私は渡航前にこの本で簡単に勉強しました!
シロソ砦へのアクセス
場所はセントーサ島にある”シロソ砦”。イギリス軍が最後まで戦った要塞を見ることができます。
展示は蝋人形を使ってわかりやすく、日本に関する展示も多く、日本人におすすめ!
公共交通機関ではセントーサ島行きのケーブルカー”Sentosa Line”の終着駅”Siloso Point”から徒歩7分!
Google Mapでは”Fort Siloso”もしくは“Fort Silos Skywalk”で検索してください
到着するとまずはこんな大きい建物がドーンとあります。階段で登るもよし、エレベーター(無料)もあります。
入場料無料です!
シロソ砦の見どころ
セントーサからの景色
上に登るとこんな感じのスカイウォークが見えます。ここを渡った先にシロソ砦の展示があります!
高いから風が結構強いけど、セントーサからの絶景が見られるのでまずはお散歩を楽しみましょう。
上からの景色はこんな感じ。奥にセントーサのケーブルカーも見えるし、海に浮かぶコンテナ船もバッチリ。
ここで記念撮影をする人多かったです!!
全体のマップはこんな感じ。右が入り口、薄い青色がスカイウォークです。
次に展示内容について紹介します
イギリス軍の様子
スカイウォークを抜けると森になりますが、道がしっかり整備されてるので大丈夫。
そのまま進むと、地下室(地図の14番)に入れて、上の写真のような蝋人形が見えます。
シロソ砦にはイギリス人ではない義勇兵がたくさんいたんですね。当時はこのトンネルから砲撃をするための弾薬を積んでいた様子がわかります。
トンネルを抜けて外に出ると、大砲の監視所が。ここから大砲の指示を出していたんでしょうか。
ちなみに左奥の日付、2 月14日になってるのがまた細かいですね。
イギリス軍に日本が降伏したのが2月15日。つまり降伏前日!
ここはまた別のトンネル。イギリス軍が義勇兵に弾薬を詰めるよう指示していますね。このエレベーターのようなもので上に弾薬を補給していたようです。
ちなみにこの蝋人形に近づくと英語で説明が流れたり、効果音が出るのでびっくりしないでください!
日本統治時代の様子
次に進んでいくと、屋内展示で第二次世界大戦の簡単なおさらい展示、そしてビデオが視聴できます。
日本の原爆についての説明もありました。
さらに進んでいくと日本統治時代の様子がわかるコーナーが見えてきます。(地図の2番〜5番あたり)
ここが一番見所があって、じっくり見てた!
ここの展示は本当に興味深いものばかりなので、日本人の方には絶対見てほしいです。
展示コーナーに入るとまず聞こえてくるのは軍歌かな?ずっと日本語の曲が流れ続けています。
日本統治時代は、シンガポールで日本語教育が行われていました。当時の教科書などの展示を見ることができます。
約3年間日本はシンガポールを統治していた!
「日本語を勉強しよう」というスローガンのポスターが貼られていたようです。ポスターには数字、煙突、煙、雲など単語が並んでいます。
日本語の成績などが良ければ成績優良証明書などがもらえました。
言葉以外の教育では、音楽の勉強もしていました。日本語で当時はみんな歌えていたんですね。
歌以外には映画の上映会も度々行っていて、日本の価値観を教育していたんですね。(政府万歳系の映画ですが…)
また、シンガポールと日本は今では1時間の時差があるのですが、統治時代は東京の時間で生活していたそうです!
日本の南の島という位置付けだったんですね。
今では1時間の時差だけど、当時は2時間差だったみたい。
日本統治時代は”昭南島(しょうなんとう)”と呼ばれていました
統治時代の軍票(お金)です。これで生活用品などと交換していました。ただ現地の人からは戦後”バナナ(リーフ)マネー”と呼ばれました。
戦後イギリス統治が再び始まるので、この軍票は一気に無価値のもの(バナナの葉っぱのように)になってしまったからです。
これなかなか面白いと思ったんですが、日本政府はシンガポールの人に”貯金”をおすすめしていたみたいです。
このような通帳を使って軍票を貯めさせていたんですね。ただ説明にもあるように、現地の人はすごく貧乏で貯金どころではなくその日暮らしの状態でした。どれくらい貯金が広まっていたかは謎です。
日本国民にも貯金を推奨してたよね!
シンガポールにはインド系、マレー系、中華系(華人)が当時からいて、日本は特にこの華人に対しての扱いが厳しかったんです。なぜなら日本は中国共産党当時戦っており、シンガポールの華人から共産党にお金を流している人がいたから。
そのため多くの華人を粛清しました。裏切り者かどうかを徹底的に調べて、裏切り者ではない(抗日分子ではない)と判断されるとその旨がわかるスタンプがもらえて、それを華人は大事に取っておいたようです。
シンガポール国内でも度々華人による日本軍へのゲリラ攻撃があったのも粛清の理由の一つ
当時の学校などの様子を表す展示もありました。
昭南島生誕一年記念パレードや映画館の様子、日本兵が子供を叩く絵、農業の様子も展示されています。
スペースは広くないけど、見応えが抜群!
実際の大砲の位置
日本の展示ブースを抜けて外に出ると、イギリスの大砲を見ることができます。左上は最初に見た蝋人形のところ(監視所)です。
この場所から日本軍を待ち構えてたんでしょうか。
ちなみに負けると思ったイギリスは、最後大砲を海に落として処分し、日本軍には残さないようにしたようです。
銀輪部隊とイギリスとの交渉
ぐるっと進むと8番に日本とイギリスの展示があります。ここは山下中将率いる銀輪部隊(ママチャリに乗った兵士たち)の展示、そしてイギリスが日本に降伏するシーンを表した蝋人形が展示されていました。
なかなかの迫力!奥が日本軍、手前がイギリス軍です。アメリカの自動車会社フォードの工場でこの交渉は行われました。
イギリスはもちろん弾薬も切れ、追い詰められて降伏したのですが、実は日本側もギリギリの状態だったとか。でもここでイギリスに降伏させないと、形勢逆転になるので山下中将(奥の一列目左から二人目)はイギリスのパーシバル司令官に「降伏するのかしないのか、イエスかノーか」と眼光鋭く迫ったようです。(本人は否定しています)
さらに進むと今度は第二次世界大戦後に日本の軍人たちが裁判にかけられる様子が展示してあります。
山下中将は戦争後、フィリピンで裁判にかけられアメリカ軍により戦犯と認定。絞首刑となりました。
この時アメリカがパーシバル司令官を呼び寄せて
絞首刑に立ち会わせたっていうのがね…
出口付近には壁一面に広島の写真が展示してありました。
イギリス兵の様子
イギリス植民地時代のシンガポール人の様子ではありませんが、イギリス兵がどのように過ごしていたかわかる展示がありました。
これは彼らの寮。犬がいるけどペットOKだったのか!?
イギリス兵たちがシンガポールにやってくる方法はもちろん船。共同生活をしながら60日かけてシンガポールまできたようです。
船の中は疫病が流行って大変で、またホームシックに泣いている兵士もいたとか。まだ10代とかですもんね…。
洗濯場の様子。自分でも洗濯できるし、奥の男性に渡して洗濯してもらうこともできました。
シンガポールの”ドビー・ゴート”駅って洗濯って意味だったと思うけどそこから派遣されたのかな??
こちらはキッチンの様子。現地の人がお料理担当。辮髪みたいな髪の毛でした。イギリス料理も作れるのかな?
ペットつまみ食いしてる!
こちらは軍専門の仕立て屋さん。現地の人の笑顔から、すごくイギリス軍に(当たり前ですが)気を遣っている感じが出ています。
日本人は必ずいくべき
日本統治時代のことやイギリス軍の様子が学べる”シロソ砦”。
シンガポールに住む日本人なら必ず行ってほしいスポットです。
日本統治時代の様子はよくわかったけど、イギリス時代ってどんな風に現地の人と関わっていたのかわかる展示がなかったのは残念。でも日本がどうだったかを知るきっかけにはなります。
訪れる前に少しだけ勉強しておくともっと楽しい!
シンガポールに住む日本人として、シンガポールと日本の歴史については知りたいところ。
本や動画などで勉強して知識を付けてから訪れるともっと学びが深くなると思います。
お子さんの勉強、ご自身の勉強、家族や友人が来た際の観光にぜひ行ってみてください!
園内所要時間は1時間半〜2時間程度。外を歩くので紫外線対策と水分は忘れずに。雨の日はお勧めしません!
ではまた。